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何故、糖鎖生物学と脂質生物学が重要か?
糖鎖にはどのような特徴があるか?
糖鎖にはどのような生物学的機能があるか?
我々は、何を目指しているか?
   A. 硫酸化糖鎖の生物機能
   B. 脳の性分化
   C. 性ホルモンの作用




何故、糖鎖生物学と脂質生物学が重要か?

ヒトゲノム計画の進展により、ヒトのゲノムの全塩基配列が決定された。 これは、ちょうど生命を解く暗号を手に入れたことになる。 現在、この塩基配列上のどの部分がタンパク質やRNAをコードしている領域か、 どの部分が遺伝子の発現を制御している領域かといった注釈をつける作業 (annotattion)が進められている。

しかしながら、たとえ全遺伝子に注釈がつけられても解決できない問題がある。
それは、我々の身体は遺伝子産物のみでできているわけではないからである。

我々動物は、自分で生命活動エネルギーを作ることができないので、 燃料を植物や他の動物から摂取する。 この最も重要なエネルギー源が糖と脂質であるが、 糖と脂質はエネルギー源以外にも生命体を構成する分子として必須である。 この生命体を構成する糖や脂質は遺伝子で定義されているのではなく、 遺伝子産物である酵素タンパク質の働きで鋳型なしに合成される。

例えると、生物は家を建てるのに家の設計図を用意するのではなく、 大工さん(=酵素タンパク質)の設計図を持っているわけである。 どのような家を作るかは大工さんに任せているわけである。 このような現象は自己組織化とよばれる。 かなり大胆なことを平気でやっているが、出来てくる家(=生命体) は殆んど同じといってよいものができてくるので不思議である。 生命の設計図(=ゲノム)には、大工さんの性能、数、 働く順序が規定されていると思われるが、 数千種類の大工さんをどのように指揮しているのであろうか。

生命体形成は、ちょうど本を書くようにいくつかの 階層 で出来ている。 文字(原子)が組み合わさって単語(分子)ができ、 単語(分子) が組み合わさって文(分子複合体)ができ、文(分子複合体) が組み合わさって段落(オルガネラ)ができ、 段落(オルガネラ) が組み合わさって、節、章(細胞、組織)ができ、 それらが組み合わさって本(個体)ができる。 本の内容を理解するのに、 文字や単語のことをいくら詳しく調べてもわからない。 少なくとも文のレベルで知る必要がある。

糖鎖や脂質を取り巻く状態は分子複合体の階層にあたり、 分子から生命体形成の過程を研究するための対象として最も適していると思われる。

        

もちろん、生命体を形成するどの段階が侵されても異常が生じるので、 糖鎖と脂質の異常はヒトの病気をひき起こすので、 これらの疾患の診断と治療を行うことは医学上も重要である。
糖鎖と脂質は遺伝子産物でなく、種間を越えて共通なものも多いので、 外から投与することにより補償することができる場合も多い。






糖鎖にはどのような特徴があるか?

(特徴1)糖鎖は多様な構造を作りやすい

糖鎖は、構造単位の単糖が鎖のように繋がって出来ます。

生命体を構成する分子鎖には、核酸、タンパク質、そして糖鎖がある。
このため、糖鎖は 『第3の生命鎖』 ともよばれる。
重要なことは、これら3種類の生命鎖には情報が内包されている ことである。 生命体には、これらの情報を認識する機構 も備わっている。すなわち、化学言語 として機能している。

核酸の場合、構造単位はヌクレオチドで、DNAだとアデニン、グアニン、 シトシン、チミンの4種類から成る。 隣り合うヌクレオチドの結合のし方は1種類しかない ので、 3つのヌクレオチドが繋がってできる場合の数は、4 X 4 X 4 = 64通りある。

タンパク質は20種類のアミノ酸から成り、隣り合うアミノ酸の結合のし方は、 核酸と同じく1種類しかない ので、 3つのアミノ酸が繋がってできる場合の数は、20 X 20 X 20 = 8000通りある。

一方、糖鎖の場合、仮にグルコース、ガラクトース、 マンノースの3種類の単糖に限定しても、 隣り合う単糖の結合のし方が核酸やタンパク質と異なり8種類 (アノマーの違いで2種類、リンケージの違いで4種類、合計2 X 4 = 8種類) もある ので、3つの単糖が繋がってできる場合の数は、 (3 X 8) X (3 X 8) X (3 X 8) = 13824通りとなる。糖鎖を構成する単糖は、 他にもN-アセチルグルコサミン、N-アセチルガラクトサミン、グルクロン酸、 イズロン酸、シアル酸などがあるので、 もっとたくさんの種類の糖鎖ができることになる。 このように、糖鎖は単位長さあたり最も多様な構造をとることができる

つまり、糖鎖は、限られた言葉でより複雑な情報を伝えることができる。


(特徴2)糖鎖の出来方はファジイである

前項でも述べたように、核酸とタンパク質は遺伝子という設計図で規定されているので、 均一なものが作られる。一方、糖鎖合成には鋳型がないので、酵素 (糖転移酵素糖鎖硫酸転移酵素)が気まぐれに作る。 このため、出来てくる糖鎖には不均一性(heterogeneity) が生じる。 この不均一性が分子間の多様性をもたらす。

しかし、この不均一性の度合いは、同じ種類の細胞間、 あるいは個体間でよく保存されている。あたかも、何かが決めているかのように。

糖鎖は、粗面小胞体ゴルジ装置 において、 糖転移酵素によりタンパク質や脂質に付加される。 タンパク質に糖鎖が付くと、糖タンパク質プロテオグリカン が出来る。 脂質に糖鎖が付くと 糖脂質 ができる。

糖鎖の多様性は、 糖鎖自体の構造多様性(第1の特徴)のみならず、 糖鎖が付くキャリヤー部分の多様性によるところも大きい。 例えば糖タンパク質の場合、同じ細胞 (=糖転移酵素をはじめとする糖鎖合成の環境は同じ) でもタンパク質が異なると付く糖鎖の構造が異なる。 さらに、同じタンパク質でも付く部位が変わるとで糖鎖の構造が異なる。 糖脂質の場合は、糖鎖部分の構造は同じでも脂質部分の構造が異なることがある。

このように、糖鎖とそれに付随した構造は非常に多様で、かつ、 その出来方はファジイである。





糖鎖にはどのような生物学的機能があるか?

糖鎖は主として分泌タンパク質や細胞表面に存在しており細胞間コミュニケーション に関与する。 細胞間コミュニケーションは、多細胞生物 が構築する 細胞社会では不可欠であり、 システムの破綻は癌や生活習慣病 など重大な疾病に繋がる。

分泌タンパク質や細胞膜タンパク質の大部分は糖タンパク質であるので、 糖鎖は多彩な生命現象に横断的に関与する

糖鎖を合成する糖転移酵素や糖鎖修飾酵素の遺伝子は、 糖鎖遺伝子 とよばれる (約300種類あると見積もられており、これまで160種類以上が同定されている) が、これら糖鎖遺伝子のノックアウトマウスやトランスジェニックマウスの研究から、 糖鎖が直接あるいは間接的にさまざまな生理機能と密接に関わっていることが明らかになってきている。

Congenital Disorders of Glycosylation(CDG) 等、 糖鎖合成異常によるヒトの遺伝疾患も多数明らかとなっている。 リソソームに局在する糖鎖分解酵素の欠損症では、 未消化の糖鎖がリソソームに蓄積してさまざまな先天性代謝異常症を引き起こすが、 これは本来の糖鎖の機能とは異なる機序が働いていると思われる。

インフルエンザやO157などの身近な感染症において、糖鎖は微生物の受容体として機能する。 このため、特異的な糖鎖の発現がこれら微生物の向細胞性を決定する。 一方、自然免疫を司る Toll-like receptorや補体には微生物表面の糖鎖構造を認識するものがある。

細胞が癌化すると細胞表面の糖鎖構造が大きく変化する。 主として糖転移酵素の発現パターンが変化するためである。 このため、癌細胞を丸ごと免疫して、正常細胞とは反応せず癌細胞とのみ反応する単クローン抗体を作製すると、 殆んど糖鎖に対する抗体ばかりが得られる。 変化した糖鎖構造は癌の浸潤・転移に深く関わる。

ヒトのアロ抗原の代表であるABO式血液型 も糖鎖がエピトープである。

以上で述べたように、糖鎖は細胞表面を覆い、 細胞の種類や分化段階によって糖鎖構造が異なるため、 『細胞の顔』 にたとえられる。

糖脂質はリン脂質とともに細胞膜を構成しているが、 均一に分散して存在するのではなく、島状の 糖脂質マイクロドメイン を形成する。糖脂質とリン脂質の物性が異なるためと考えられている。 ここには細胞増殖因子受容体やSrcキナーゼファミリーなどの情報伝達分子が集積して、 細胞外の情報を細胞内に伝えるためのプラットフォームとして機能する。






我々は、何を目指しているか?

A. 硫酸化糖鎖の生物機能

研究の背景:

哺乳動物の主要な硫酸化糖脂質には サルファタイドセミノリピドがある。
サルファタイドとセミノリピドは、糖鎖構造は全く同じ ガラクトース3-硫酸であるが、脂質部分が異なる。 サルファタイドの脂質部分はセラマイドで、 スフィンゴリピドである。 セミノリピドの脂質部分はアルキルアシルグリセロールで エーテルグリセロリピド である。

       



サルファタイドは、神経組織のミエリン合成細胞である オリゴデンドロサイト(中枢神経系)と シュワン細胞(末梢神経系)で合成され、 ミエリン鞘に豊富に存在する。

オリゴデンドロサイトの分化の過程では、前駆細胞が移動と増殖を止め、 最終目的地で最終分化を始めるときに発現しはじめ、その後の細胞系譜、 ミエリン鞘で発現しつづける。サルファタイドは、 オリゴデンドロサイトのマーカー抗体として有名な O4のエピトープである。

      


一方、精子形成細胞は精原細胞(spermatogonia)から分化するが、 セミノリピドは、精母細胞(spermatocyte)の初期から生合成され、 その後の半数体細胞である精子細胞(spermatide)、精子(sperm) で発現しつづける。

      


これまでの経緯:

我々は、硫酸化糖鎖、とくに 硫酸化糖脂質 の生合成と機能について研究を行っている。 これまで、糖脂質硫酸転移酵素(CST)の分離精製、 遺伝子クローニングを世界に先駆けて行い、 ガラクトースの3位の水酸基に硫酸基を付加するガラクトース3-硫酸転移酵素の遺伝子ファミリーを発見した。 このファミリーには4つのメンバーが存在し、全て染色体が異なる。 得られた硫酸転移酵素の遺伝子を細胞工学的に操作することにより、 硫酸化糖鎖の生物学的機能を研究してきた。

なかでも、CST遺伝子ノックアウトマウス の作製と解析により、 硫酸化糖脂質がミエリン機能精子形成 に必須の分子である ことを証明したことが特記される。CST欠損マウスでは、 脳におけるサルファタイドと精巣におけるセミノリピドを完全に欠き、 ミエリン−アクソン接合形成異常精子形成障害を来たす。

また、CST欠損マウスのオリゴデンドロサイトの最終分化は速まることから、 サルファタイドがオリゴデンドロサイトの最終分化を負に制御することが明らかとなった。

                     ミエリン−アクソン接合形成異常


図の左半分に示すように、正常マウスでは、 有髄神経のランビエ絞輪のパラノード部においてミエリンとアクソンが接合し、 これが隔壁となってナトリウムチャネルとカリウムチャネルの集合体が、 それぞれノード部と傍パラノード部に形成される。 一方、右半分に示すように、スルファチド欠損マウスでは、 ミエリンとアクソンの接合形成が障害され、 ナトリウムチャネルとカリウムチャネルの集積化が乱される。

                       精子形成障害
            +/+             -/-
      
     


      CST欠損マウス(右)の精子形成は、第1減数分裂中期までで停止する。分裂中期の
      細胞が融合して多核となった変性細胞が特徴的である。

硫酸化糖脂質を研究することの利点

1)個体機能にとって必須であることが遺伝学的に証明された。
2)糖鎖の構造が単純であるので、遺伝子発現を含めて生合成の過程を追うことが比較的容易である。
3)反面、キャリヤー(脂質)部分の構造が異なるものがあり、発現分布と機能も異なる。
4)硫酸化糖脂質は最終産物であるので、表現型の異常は硫酸化の欠損によるとみなせる。
5)CSTノックアウトマウスの異常部位が限局しているので、硫酸化糖脂質の分子メカニズムを解明する場合の研究対象を限局させることができる。 つまり、その部位だけで分子から生命現象のなりたちまでが完結している。

もっと詳しく知りたい方へ

1)本家孝一: 硫酸化糖脂質の生物機能、Beyond Glycogenes, Glyco Forum, http://www.glycoforum.gr.jp/indexJ.html

2)本家孝一:ミエリン形成、精子形成と糖鎖、よくわかる実験医学シリーズ『ポストゲノム時代の糖鎖生物学がわかる』(谷口直之編)pp.86-91、羊土社、2002年

3)本家孝一、谷口直之:ガラクトース3-硫酸転移酵素の機能、蛋白質・核酸・酵素 48, 963-966, 2003

4)本家孝一:脳神経機能に不可欠な硫酸化糖脂質、蛋白質・核酸・酵素 48, 247-251, 2003

5)本家孝一:硫酸化糖鎖と疾患―多彩な糖鎖機能における硫酸基の役割―、医学のあゆみ, 207, 366-369, 2003


現在進行中の研究:

1.細胞膜糖脂質マイクロドメインの構造と機能

(目的) 硫酸化糖脂質が実際に生体内で機能していることが遺伝学的に証明された精母細胞オリゴデンドロサイトにおいて、硫酸化糖脂質がどのように働いているかを分子レベルで解明する。

硫酸化糖脂質は、 精母細胞やオリゴデンドロサイトの細胞膜上で硫酸化糖脂質を含む分子複合体 (硫酸化糖脂質マイクロドメイン) を形成している。

精母細胞膜上の硫酸化糖脂質マイクロドメイン で形成される分子アッセンブリーが、セルトリ細胞膜上の分子装置と相互作用することによって、 精子形成のための分化シグナルが伝えられると考えられる。



精母細胞膜上の硫酸化糖脂質マイクロドメイン で形成される分子アッセンブリーの構成分子を知ることが、最初の課題である。
その後、各構成分子の分子機能を明らかにし、 硫酸化糖脂質がそれらの機能発現をどのように制御するかを解明する。

このため、我々は、精母細胞膜上の硫酸化糖脂質マイクロドメインを直接、 マウスに免疫することにより、分子アッセンブリーに対する 単クローン抗体を作製している。 (CREST研究)


また、一方では、生きている細胞上で糖脂質の近接分子を標識する方法 の開発も行っている。(CREST研究)

われわれの研究の特色は、 人工的な培養細胞の系ではなくて、 自然が長い時間をかけて進化の過程で獲得してきた個体分化のプロセスを、 糖鎖の切り口で解明しようとしている点である。


2.生殖細胞特異的糖脂質発現機構

(目的)セミノリピドの発現メカニズムを遺伝子発現と生化学的背景の観点から解明する。

糖鎖は“細胞の顔”と呼ばれるように、 細胞の種類や状態によって大きく変化する。硫酸化糖脂質の セミノリピドも精子形成細胞に特異的に発現するが、 セミノリピドの生合成酵素であるCGT(ceramide galactosyltransferase)と CST(cereborside sulfotransferase)の遺伝子が精子形成細胞で発現するメカニズムは?

哺乳動物に存在する糖脂質は通常スフィンゴリピド であるのに、何故セミノリピドエーテルリピドなのか?



3.糖鎖リモデリングによる癌転移制御

(目的)細胞表面の糖鎖構造を変換して、がん細胞の転移を制御する。

糖タンパク質硫酸転移酵素GP3ST は、糖タンパク質糖鎖の Galb1-4GlcNAc あるいは Galb1-3GlcNAc 構造のガラクトースの3位の水酸基を硫酸化する。 この硫酸転移酵素はシアル酸転移酵素と競合して、腫瘍マーカーとして有名な シアリルルイス抗原(CA19-9、SLEX) の発現を抑制して、代わりに スルホルイス抗原 を産生する。 シアリルルイス抗原は癌転移に関与して予後に影響することが知られているので、 GP3ST遺伝子を導入することにより、 大腸癌細胞や肺癌細胞の転移を抑制する ことを目指す。







B. 脳の性分化

研究の背景:

性同一障害は、遺伝学的性(身体的性) と性指向性(自己認識の性)の不一致により、さまざまな悩み、 葛藤を生じる精神疾患である。
この原因としては、脳の性が遺伝学的性と一致していないため と考えられている。

脳の性と遺伝学的性の不一致は、げっ歯類を用いる動物実験でも証明されている。 ラットは生まれたとき、まだ脳の性分化は決定付けられておらず、 出生後1週間以内(臨界期) に男性ステロイドホルモンであるテストステロン に暴露されることにより、デフォルトでは雌型 になるべき神経回路が雄型へ変換される。

実験的には、臨界期における睾丸摘出実験や、雌新生児にテストステロンを注入すると、 成体になったときの性行動ならびに 性的内分泌のパターンが雄型に改変できる。

雌雄間の形態学的差異や、部位特異的損傷実験により 内側視索前野性的二型 を規定する重要な中枢があることがわかっている。 これまで、脳の性分化は、神経生理学あるいは解剖学により現象論として研究されてきたが、 それをもたらす分子メカニズムは全く手付かずである。



現在進行中の研究:

我々は脳の性分化に関わる分子的実態を明らかにするために、 ラット新生児にテストステロンを投与して本来雌型になるべき神経回路が雄型へ変換される際に発現する新規遺伝子を、 独自のサブトラクション法を用いて単離することに成功し、 masculin と命名した。 現在、masculin 遺伝子産物 (Masculin) の機能を解明中である。






C. 性ホルモンの作用

研究の背景:

性ステロイドホルモンのうちでエストロゲン について研究を展開している。 エストロゲンは女性ステロイドホルモンの総称で、エストロン、エストラジオール、 エストリオールなどが代表的なエストロゲンである。 これらのステロイドホルモンはコレステロールを材料にして合成される。



エストロゲンを合成している主要な組織は卵巣や精巣などの 生殖組織である。 しかし、脂肪細胞副腎 などでも活発に合成されている。さらに、ヒトの胎盤 は最も高い活性を示す臓器である。

各組織で合成されたエストロゲンは血中に分泌されて、 離れた場所にある標的組織に働きかけて、その組織の代謝や機能を制御する。 これはエンドクリン作用 と呼ばれている。 また、合成している細胞自身の機能を制御( オートクリン作用 と呼ばれる)したり、 極く近傍の細胞の機能を制御(パラクリン作用 と呼ばれる)もする。 例えば、卵巣で合成されるエストロゲンは卵巣内で作用すると共に、 脳に働きかけて卵胞刺激ホルモンの分泌を抑制するように作用する。 全身にエストロゲン過剰な症状が見られなくても、 特定の組織ではエストロゲンが豊富な生理的環境が出来上がっていることもある。

エストロゲンは生殖機能の制御に関わっているので、 種の保存という点では必須のホルモンである。 しかし、生命の維持という観点からみると、 必須ではない。従って、エストロゲンは生理機能の調節役といえる。 エストロゲンはグルタミン酸受容体やセロトニン受容体の機能を調節することによって、 記憶や性欲、感情を制御しているらしい。 脂肪細胞に働きかけて肥満の制御にも関わっている。 エストロゲン合成が低下すると骨を弱くする(骨粗鬆症)。 さらに、精子形成の制御にも一役噛んでいるようである。


アロマターゼ欠損マウス:

エストロゲンの作用を解析するために、卵巣や精巣を摘出したマウスやラットなどが使われる。 しかし、エストロゲンは生殖組織以外でも合成されているので、それを摘出しただけでは、 内在性のエストロゲン作用の有無が常に問題として残る。 テストステロンをエストロゲンに変換する反応を触媒する酵素、 エストロゲン合成酵素 (芳香化酵素、アロマターゼなどとも呼ばれている)の活性を失活させられるならば、 エストロゲンが合成できない体内環境が作り出せる。 そこで、エストロゲン合成酵素遺伝子を人為的に破壊したマウスを作製した。 このマウスを使って、肝臓での脂肪酸代謝、脳の機能、生殖機能、骨機能を解析をした。

     

また、内分泌かく乱作用物質と指摘されているビスフェノールA(BPA) のエストロゲン活性をエストロゲン合成欠損マウスを用いて解析した。 そして、 高濃度のビスフェノールAはエストロゲン欠損でみられら諸症状を回復させられる活性を有することが分かった。




     ビスフェノールA (BPA) によるエストロゲン合成酵素欠損マウス子宮の肥大作用

緑色蛍光タンパク質(EGFP)発現マウス:

エストロゲンの作用を簡便に観察できるようにするために、緑色蛍光タンパク質(EGFP) を発現する2種類のマウスの系統を確立して、実験に用いている。
   1)エストロゲンによって発現が誘導できるEGFP遺伝子を持つマウス (エストロゲン誘導性
     EGFPマウス
)。
   2)卵細胞で強くEGFP遺伝子を発現するマウス (卵発現性EGFPマウス)。

1)エストロゲン誘導性EGFPマウス
野生型マウスの子宮、卵巣、脳下垂体、副腎では高い EGFPの発現が認められる。  一方、エストロゲン合成酵素欠損(EGFP-ArKO)マウスでは低く抑えられている。

              (蛍光実体顕微鏡を用いたEGFP発現の観察)
           EGFP-野生型マウス        EGFP-ArKOマウス

  脳下垂体 

     卵巣

     子宮


この系統のEGFP-ArKOマウスに17β-estradiolやジエチルスチルベストロール(DES)、 ゲニステインなどのエストロゲン関連物質を投与すると、 EGFP遺伝子の組織特異的な発現が誘導できる。


2)卵発現性EGFPマウス

         蛍光実体顕微鏡を用いたEGFP発現の観察
     

              

この系統のマウスでは子宮、卵巣で高い発現が認められた。 特に、卵巣では卵が強く蛍光を発していることが蛍光実体顕微鏡で観察できる。


現在進行中の研究:

1.in vivoにおけるエストロゲン受容体の組織特異的な活性

エストロゲンはエストロゲン受容体に結合してその作用を発揮する。 エストロゲン受容体にはERα と β の2種類あることが知られている。 エストロゲン誘導性EGFP遺伝子を有するエストロゲン受容体欠損マウス、 エストロゲン合成/受容体欠損マウスを用いて、 どちらのタイプの受容体が体内の組織で機能しているのかを解明する。 そして、エストロゲンの生体内における組織特異的、 性特異的作用の分子機構の解明を目指す。


2.化学物質の抗エストロゲン作用やエストロゲン作用

野生型マウスとエストロゲン合成欠損マウスにおけるEGFP遺伝子の発現量を指標にして、 化学物質の組織特異的な抗エストロゲン作用やエストロゲン作用を解析する。 そして、特定の組織のみに作用する抗エストロゲン剤やエストロゲン剤の開発を目指す。


3.排卵過程におけるエストロゲンの役割

卵発現性EGFPマウスを用いれば、排卵の有無を蛍光顕微鏡下で容易かつ明確に判定できる。

        

エストロゲン合成欠損マウスはエストロゲンがないために排卵を誘導できない。 EGFP由来の蛍光を指標にして、エストロゲンを欠損している卵巣からの排卵を誘発する条件を確立する。 そして、排卵過程におけるエストロゲンの生理的役割を明らかにする。その実験系を用いて、 排卵に及ぼす栄養環境や環境化学物質の影響を解析する。


4.エストロゲンの成熟期前の雌の中枢神経系における作用

卵巣機能が正常ならば、エストロゲン合成欠損雌マウスは妊娠し、 育児できることが観察されている。 このことは、脳など卵巣以外でもエストロゲンの合成はあるものの、 生殖機能と育児機能に必要なエストロゲンは卵巣だけで供給できることを示している。 しかし、エストロゲン合成欠損マウスが妊娠/育児ができるようになる割合が極端に低いことに注目したい。 雄マウスの脳の男性化には、性成熟期以前、(特に出生前後の時期)に、 エストロゲンが中枢神経に作用することが必要であるとされている。 雌でも同じ様な制御が起こっているのであろうか? また、どのような生理機能に必要なのかをエストロゲン合成欠損マウスを用いて明らかにしたいと考えている。






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